過去についての後悔
私は中学生時代にイジメにあっていた。
毎日のように複数の男に感情の掃きだめの道具にされていたので、正常な女としてのプライドは0になっていった。ばい菌扱い(古っ!)、で通じますかね?( ´∀` )
親や祖母は私を問答無用で学校に行かせた。
私の心に寄り添うことなど一切なく私の苦しみを無視し、「私の時代はこうだった」などと私を学校に向かわせるもっともらしい理由をつけた。
私は10代後半、高校を中退した後、道を踏み外した。
人を傷つけると後始末が面倒でそれこそ親に殺されるから、自分だけが苦しむ方法で道を逸れた。
道を踏み外した理由はたくさんある。
虐めっ子たちへの復讐、高校のとき、私にかまってくれなかった“友達”への意趣返し。
でも一番ウェイトを占めているのが、
この、私がいじめでつらい思いをしているのに、無理やり学校にいかせる鬼畜な発想を持っている家族への意趣返し。
家族が私を無理やり学校へ行かせたのは百パーセント、私のためではない。
やはり、世間体である。
家族は世間体を気にしていた。世間体をぶち壊す、恥をかかせてやる!!
その一心で私は道を踏み外した。
だが、踏み外した先に待っていたのは天国ではなく、まぎれもない、ある意味いじめよりも恐ろしい地獄だった。
あと一歩間違っていれば私は死んでいた。
今生きているのはたぶん、神様の慈悲なのだ。
地獄の先にはまた屈辱という名の地獄が待っていた。
これ以上同じ道を進んでも地獄しかない。
そう考えた私は、普通の道に戻ろうと、フランス語の勉強を始めた。
フランス語だったら警察には捕まらないし、自分のためになる。
昔からフランス語は憧れの言語だった。
……だが、一度道を大きく踏み外した私が、うまく仏語と向き合えるわけがなかった。
数年後再び道を逸れた。もう、死ぬしかないというところまで追いつめられた。
けどこうしてなんとか生きているのはやはり神様のご慈悲なのかしら?
私は、今度こそ、真っ当に生きていきたい。
道を逸れた先に待っているのは地獄でしかないというのをよくわかっているからだ。
今も後悔が消えない。